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2008年09月21日

サロネンがやって来る!

salonen.jpg エサ=ペッカ・サロネン(c)KASSKARA/DG

今年のサントリー・サマーフェスティバルで、好みではない作品をひとつ、聞いてしまって以来、私のフラストレーションはかなり極限に達していた。

音楽を職業にする事はやはりそれなりの耳を育てる事とも思うけれど、時にはその耳が災いし、音楽を聞くことによって受ける影響も大きい。私は自分の作品の構想を練るときに、自分のエネルギーを悪く奪う作品にとっても敏感、というか注意している。それを聞いたがために、数日間、五線紙に向かえなくなる事は恐ろしい事だから。

そしてまた、そういう悪影響を及ぼす作品の力の方が力が圧倒的に大きいように私には感ぜられるので。(もちろんここには好み=嗜好性もかなり含まれるので発言にも要注意なのだ)なので、演奏途中であっても自分の耳と心を守るために退席してしまうことは少なくない。
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今年の夏がそうだった。ある一曲、それも演奏会最後の大作…聞いた途端、「こりゃダメだ、席を立とう!」と思ったのについ、座席が入り組んでいて帰りそびれ、なんと体が拒否し続ける曲を20分以上も聞いてしまったのである…

本当にダメになっちゃったその後の数日間。インスピレーションゼロ!になった。で、通して買っておいたチケットもお弟子に譲り、家で黙々と過ごしたっけ。傷が癒えるのにかなり時間を要した、と言うことになる。やれやれ…

業界仲間はやはり同じ感想で…「あれ、誰が選んだの?」という話題で変に盛り上がった。最近の現代作品は音楽学系やコンクール審査の作曲家や、とにかく学者が選ぶ。ここが非常に危険な気がする。クラシック音楽の発達して来た経緯は、演奏家が作曲家の作品を持ち歩き、演奏し歩いて広め、定着したのであり、決して学者が紹介してきたのではない。やはり「演奏会」というコンセプトと「コンクール」というコンセプトは別物でなければいけないと思う。
コンクールなら「よく書けている作品ですけどね」と言う作品が出てきても当然であろうが、演奏会に「良く書けてるんだけどね〜…」という作品は挙げるべきではないのは当然であろう。もとから演奏会は興行の一種なのだし…やはり学者だけではなく、演奏家出身、や、あらゆる意味でのプロデューサー、などの開かれた有識者で選ばれるべきプログラムが今後は求められるのは必須と思うのになぁ…

昨今の現代音楽の演奏会が集客不能なのはそういうベースがあるからだと、本当に思い続けている。
聞く立場に立った人のチョイスではないから。世の中の人々が全てコンクールスタイルの曲が好きなわけではない。芸術作品はすべてが厳しくなくたってよいんじゃあないの?(皆、無言になるんだよねぇ…なぜ?)
全てがシリアスで突き詰めて、隙がなくて、というものを並べた演奏会はやはり単調でしょー。そこにはバラエティとバランス、というものがあってしかるべき。と思っている。

私はステージの上から先生風を吹かせるアーティストをアーティストとは思っていない。アーティストはアーティスト。教授であることなどはオーディエンスには関係のないこと。でも日本のクラシックの演奏会では先生根性が抜けないままステージから教えようとする演奏家もいらっしゃらなくはない。もちろん、好きな物だけ並べて演奏するプログラミングにコンセプトのない、プロと名乗りながらもセミプロ的な演奏家も困る…としても、現代音楽が特殊な学習をした人たちだけに聞いてもらえばいい、という偏狭な企画で作り上げられてしまいがちなそういうカラーはとても悲しい。

ヨーロッパではコンテンポラリーの演奏会に、街の普通の人々がやってくる。老夫婦なども多いので驚くのだけれど。それでいてちゃんと音楽の雰囲気から実はその音楽の核は理解しちゃっている。学習したからわかる、というのとは違う。もちろん、ヨーロッパの音楽業界にだってウラもオモテもあり、政治的に上手に動かないといけない、という事情だって知らなくはない。でもやはり音楽人口が豊かなのよね、基本的に。それは教会があり、常にそういう生の音楽環境があるからでもあるから歴史がそもそも違うけど。

さて、また戻るけど、プログラムを決める際に有名な作曲家の人気の出た曲=ポピュラー=権威において云々…となるのは本当に馬鹿げている。それはクラシック音楽の歴史をも否定してしまうような行動に思えたりする。これでは、いつまでたってもマニアックに知識を持った人しか聴衆になれない、ってことになってしまう。音楽は感性でも理解ができるものなのに…日本の一般人の音楽レベルはいつまでも上がらない…
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おおおぉっと…何だか激してしまった…けど何を言いたいのかって?

うん、世界中のどこぞで受賞した優秀な作品なのに全然聞いていてつまんない曲よりは聞いていて心臓が揺さぶられ、鳥肌がたつ作品を聞きたいな、というそれだけなのね。オーディエンスとして。デス。

その欲求不満を解決すべく購入したのが、上の画像のサロネンの演奏会のチケット。大奮発してS席をゲット。驚いたことにかなり前に予約したのにS席はかなり少なくなっていた。

サロネンがわがNHK交響楽団を指揮した演奏会を聞いたことがある。素晴らしかった…オーケストラ団員のみなさんがサロネンにうっとりついていくのがわかるのである。N響団員のうるさ方を魅了してしまうその指揮はやはりサロネンの音楽性が魅力的であることに他ならない、とその時感じた。それと、北欧が生んだ天才と言われるそのサロネンの音楽には透明感と、金管楽器の響きを豊かに引き出す彼ならではのカラーがあった。

やはり本物を聞いてないと、自分の物差しが狂ってきそうな今日。しっかりしなくちゃ…


★★エサ=ペッカ・サロネン&ロサンゼルス・フィルの来日情報★★

★★エサ=ペッカ・サロネン★★


posted by カオリン at 13:24| 東京 🌁| Comment(12) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんだかよくわからないながらも、ほとんど同意です。
私なんか、途中で席を立つというよりも、はじめからコンサートに足を運ばなくなってきましたよ、最近は・・・
本当に聴いてみたいと思う演奏会があまりないのです。

そういえば「リトルシネマ」の収録されているCDって、もう発売されているのですよね。まだでしたが、これから買います。
Posted by 鶴ちゃん at 2008年09月22日 11:34
>鶴ちゃん、いらっしゃいませ。
ご無沙汰しています。色々と書いちゃいましたよ。なかなか…思うことがたくさんです。
「リトルシネマ」は拙作だけ音量が小さく録音されてしまっていてちょっと困っています。作品自体を悪いとは思ってはいませんが。なのでもし入手されるのならボリュームを大きくして聞いてください。というお願いをしないとなりません。宜しくお願いいたします。
他の曲、すごくいいですよ。
イギリス人のマーティン・エレビーの曲がすごく好きです。
あと津堅さん(ケンツビッチ)のレジェンドもおおらかでわかりやすい曲です。
Posted by カオリン at 2008年09月22日 21:52
カオリン様
先日は私の日記へご訪問いただきありがとうございます。仕事帰りに久しぶりにアマランスを聴いた矢先だったのでちょっとビックリしました。
 
本日のお話、共感することしかりです。自分の物差し・・・。常に自分をメンテナンスしながら精度を上げなければですね。
 
そうそう、私の日記の「たいせつなひとびと」のところにこのページを加えてもよろしいでしょうか?
って前もお伺いしましたっけ?
Posted by otoshimono at 2008年09月26日 12:22
おぉぉ〜、otoshimonoさまぁ。お返事にいらしてくださるなんて嬉しすぎます♪
私、そういう経験多いんです。これからメールしようとした方から電話かかってきたりとか…何か、感じるんでしょうかねぇ。ふっとotoshimonoさんのサイトに行きたくなったんですよ。呼んだ?(笑)いえ、失礼しました。
アマランス、聞いてくださってありがとうございます。
自分をメンテするって難しいですね。一生かかってもできるんだろか…って思います。
「たいせつな〜」のメンバーに加えてくださるのですか?初めてですよ〜〜。嬉しいです。立派な作曲家をめざします〜〜(^^;)
Posted by カオリン at 2008年09月26日 13:50
サロネンは指揮者としてすばらしいと思います。ショスタコーヴィチとかストラヴィンスキーとか結構手元にあります。曲の方はN響とやったフォーリンボディーズという曲があるのですが、いまひとつよくわからなかったというのが正直なところ。
Posted by Jun Yamamoto at 2008年09月28日 11:27
お言葉に甘えさせていただいて、早速リンクさせていただきました。
今後とも宜しくお願いいたします。
私も立派なデザイナーめざします〜!
Posted by otoshimono at 2008年09月29日 10:30
>Junさん、
やはりJunさんも聞いてらっしゃいましたね、サロネン。
私もサロネンの曲は指揮の鮮やかさに比べると…という印象がありました。
もちろんあるレベルを超えている作曲家なのだと思いましたが、それ以上に指揮能力が世界的なわけだから、そういう人生になったのでしょうね。
指揮者でも打楽器出身とか、いろいろ経緯がありますよね。ご自分の言葉で音楽を表現する事において、サロネンはご自分の作品で、というよりも指揮を通して、の方が仕事が増えた、という事、と捉えています。
Posted by カオリン at 2008年09月29日 10:42
>otoshimonoさま。
わ、嬉しい!あとで拝見に伺います。
立派なデザイナーとおつきあいして戴けること、本当に刺激を戴いています。
まだまだワタクシ、自分にあきらめてませんから…ほほほほ。
今後ともお仕事のオン、オフ両面で宜しくお願いいたします。
Posted by カオリン at 2008年09月29日 10:44
聞き直してみたら、フォーリンボディーズはわかりやすい、聞いて楽しい曲でした。ほかの曲と混同してたかも知れませんもうやだ〜(悲しい顔)
Posted by Jun Yamamoto at 2008年09月30日 17:42
お久しぶりです。
音楽に対するカオリンさんの情熱や才能がよく伝わってきました。

ただ、私見を述べさせていただくと、音楽の良し悪しは別として、一般大衆が求める音楽が、一番受け入れやすい音楽ではないかと思います。
現代のオーケストラの作曲された音楽が世に受け入れられ、これから長く演奏され続けるためには、必要不可欠な要素ではないでしょうか?。

私は音楽に対しては、まったくの素人ですが、音楽を楽しむ人々の大半は、私と同じ素人の人であると思います。

また、中世の作曲家や音楽家が一般大衆に向けどれほどの演奏活動を行っていたのかよく知らないけど、現代の作曲家や演奏家はTV、ラジオ、CDなどの媒体を使い、広く一般大衆にむけ情報を発信できるし、現代社会が芸術に対し理解を示し、資金を得やすくなっている状況を鑑みると、ひとつひとつの曲に対する価値が下がってきているのではないかと思えてなりません。

感情的にいろいろ書いてすみません。

カオリンさんの音楽が広く世に広がり、愛される事を祈っています。
Posted by 迷い人 at 2008年10月07日 13:33
マヨさん!いらっしゃいませ。
真摯なご意見を賜り、身の引き締まる思いです。
とはいえ、クラシックの音楽業界の仕組みはエリートが決めていきますから、大学卒業程度の私では何もできない!
(今は修士課程修了、博士課程修了、海外留学、そして国際的な賞を受賞というスタンスが当たり前になってきています)というのが現状です、音楽の能力と社会的地位は比例しないので私的には問題ない事なのですが…。逆に私の場合は聴衆の皆さまのお力を借りて、というスタンスで行きたいな、と思っています。
Posted by カオリン at 2008年10月13日 15:51
う〜む・・・って感じです。
クラシック音楽っていうのは、過去の演奏家の楽曲を、いかにうまく演奏するかによって決まるのでしょうか?

まあ、よく分からない世界の事はお任せするとして、映画音楽として流れるような心に残る楽曲がうまれ、それが永遠に人類の宝として愛されるような事を願うばかりです。
できれば、その様な音楽が生まれた瞬間に立ち会うことが出来れば、幸せだろうなぁ〜って、想像してます。
Posted by 迷い人 at 2008年10月22日 12:59
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