ダーラナホース先日デンマークの俳優マッツ・ミケルセンについて
書いた事で、自分と北欧の距離感について書いてみようと思う。
幼少の頃、父が日本の企業からスウェーデンの企業に転職し
その時から彼の年収は非常にアップしたらしい。
それも父の希望額そのままが支給された。
父も「どうせなら」と希望した額そのままの支給は
本人が最も驚いた事であろう。
何はともあれ、私の育った環境は非常に日本人らしくなく
それはやはりそういう自由な気質の父が作った環境に
よるところはとても大きいと感じている。
「イヤな事はやめてしまえばいいじゃないか…」というのが
父の口癖でこういう父親をもってしまうと恐ろしくて、私は
逆に非常に忍耐強くなってしまった…
自分が膵臓炎が持病なのはそれを最も顕著に表していると思っている。
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北欧は社会主義。なのであまり滅茶苦茶に働く事は
奨励されない。当然30年以上前から土曜日は父は
会社が休みでよく旅行をしていた。
転職によってちょっぴり裕福になった父は
長年の夢だったらしいのだけれど
赤坂の設計事務所のデザイナーに頼んで
超モダンな家を建てた。
コンクリートうちっぱなしの家に赤い鉄の扉。
廻り階段が塔のようにそびえ立ち、その内側はやはり赤かった。
室内はネイビーの布張りの天井まで届く
扉で、子供には開け閉めが重く大変だった。
今はそういうデザイナーズハウスも珍しくないけれど
35年も前だから、ご近所でもそりゃ〜目立った。
中学校時代の友人達は私の家を「ピカソの家」と呼んだ。
画像の赤い馬の置物も子供の頃から家にあった。
今ブームになっているIKEAという家具。私が小学生の時に
家の家具についているマークがIKEAだったりした。
照明器具もほとんどデンマークのものだったように記憶している。
父は非常に楽天的で働くよりは夢を見ているのが好きで
輸入家具店でよく、そういうインテリアを揃えていたみたい。
母はスウェーデン大使館にピアノを教えに行っていた時期があり、
何度か私も連れて行かれたけれど
家中がネイビーやブルーの濃いファブリックで埋め尽くされており、
だから家が暗い…のだけれどその濃紺の生地に織り込まれた
オレンジやピンク、ターコイズは大変美しかった。
北欧の色使いは濁りがなくてとても際立った発色だったのを
記憶している。
日本人の家の当たり前の蛍光灯、というのはなくて
全て間接照明だった。天井は突き抜けて高く、
非常に静寂。そこに大きな水槽があって
まばゆいような美しい熱帯魚がひらりひらりと泳いでいた。
母のレッスンが終わるまで、その熱帯魚を見ていると飽きなかった。
北欧のネイビー…これは強烈な印象だったし、
北欧人の金髪とネイビーもこれまた良くマッチする
コーディネイトだと思った…
「外国人との結婚、あるいは外国との往復が貴方の持っている
縁(えにし)」とある易者に言われたことがある。
確かに留学もしていないけれど、小さい頃からたくさんの
外国人が家を訪れ、高校生の時にはイギリス人が我が家の1階に
住んでいたし…
現在の私の生活は一年間のうち、通算すれば2ヶ月近く
海外に滞在している計算になるので
それもあながちはずれてないのかもしれない。
今年初めてコペンハーゲン(デンマーク)の空港で乗り換えてみて
その美しさ静寂さ、清潔さ、自然の豊かさに感激してしまった。
そして驚いたのはそのショップの品々。
みな、私の育った家にあるものと同じだった。
なんだか懐かしくて、変な気持ちになった…
(注)モデルハウスなり。三つ子の魂って…やはりそうなのかなぁ…
posted by カオリン at 19:59| 東京 ☀|
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