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5日間のお天気は?

2015年12月22日

「Secret Room Vol.2 −布と箱」工藤あかね at トーキョーワンダーサイト本郷

akaneK.jpg アーティスト 工藤あかね
タイトルを日本語に訳すと〈秘密の部屋 その二 – 布と箱〉ー 非常に濃密で想像力を掻き立てられるタイトル。

工藤あかね氏はソプラノ歌手にとどまらず、ダンサーでありギタリストでもあるマルチパフォーマー。
今回11月27日-28日の二日にわたり開催された公演のプログラムは

・ジョン・ケージ:ソネクス 2(1985)
・ジョン・ケージ:花(1950)
・カール・ハインツ・シュトックハウゼン:一週間の7つの歌(1986)
・湯浅譲二:R・D・レインからの2篇(2005)

     「私は夢をみた」 「愛は似る降りくる雪の…」
・ジョン・ケージ:4’33”
・松平頼暁:Trio for One Player
(2014 初演)

工藤あかねの声域は広く、特に低音域に特徴があり、一般的なソプラノでは安定しづらい音域にも非常に響きの力強さがある。ヨーロッパ的なソプラノの響きとも違う、あまりグラマラスになり過ぎない声、それなのに中心に猛烈に太い芯を持った声質を持っていて、それが一貫して高音まで揃った濃い密度で響く。現代の歌を扱った作品の新しい表現力としては非常に恵まれた資質を持っており、実際に縦横無尽に広がりを見せていた。

akane02.jpg
タイトルから想像される通りにステージの中央に長方形の座れる白い箱がありスツールのように中から色々取り出せるしくみ。ギターは上手奥に置かれており、中央の箱と良い意味でステージ上での緊張の糸を引っ張り合う配置になっていた。
上手がそういうテンションで空間が占領されているので、下手に何かを期待させる空間が作り出されていた。さらにシーツの何倍もあるような真っ白な布を使って白いドレスで音と歌とダンスとギターを織り交ぜての舞台表現を披露した。
舞台の床の肌色に近いライトブラウンと三種類の、布の白、箱の白、ドレスの白。非常にシンプルなこの舞台は逆に観客に想像力を要求して来る事に公演の途中から気づき始めた。
これは鑑賞ではなくて、実は観客が参加できる形のパフォーマンス。それは想像力という形で参加できるわけだけれども。
白=白装束というのは生まれるときの産着の色でもあり死に装束の白でもあり、あ・うんとも繋がり、エンジェルの白でもあり下着の艶かしい白でもあり、両極端な意味を持つのが白。生と死、清純さと妖艶さ、無と有、そして白い布にはフラットとドレープ、といった3Dでの立体感が加わり、帽子、衣服、寝床、地面、赤ん坊等…ダンスを伴って想像はさらに膨らむ。身にまとったときのその白い布は時にはエジプトのあるいはインドの、そしてアフリカの…そして日本の衣装に見えたりもした。
彼女のギターは予想を超えて素晴らしく、弦が一音一音弧を描くように良く鳴って説得力を持ってこちらに訴えて来る。
akane03.jpg Photo@Naoshi Kukiyama

プログラム中、ジョン・ケージ作品が3作取り上げられたが、その中で最も作品に命を吹き込んでいたのは有名な〈4’33”〉であった。何度も再演を見て聞いてきたジョン・ケージのこの作品がこの日、工藤あかねというパフォーマーを通して最も饒舌なイメージとなり、退屈や単調とは無縁の新しいスタイルの〈4’33”〉に仕上がっていた。
シュトックハウゼンの超絶技巧が網羅された〈一週間の7つの歌〉もその細かな指示と制約があるのが逆にパズルのような面白さになって動く図鑑のように興味深かった。
湯浅譲二氏の作品〈R・D・レインからの2篇〉は非常に官能的であり、第一声から非常に多彩で細やかな表現で書かれており、モダンの中に古風な雅な懐かしい人間的息づかいが抑制されて潜んで聞こえた。クールに清潔に表現をつづける工藤あかねのスタンスとは作品が非常に対極にあるのが新鮮で、逆にこちらはその質感の違いに酔うがごとく、耽溺してしまうような不思議な魅力があった。例えて言うなら天使と妖女の間を行き来するような天国と地獄の間を行き来するような、煩悩との闘いのような…。
プログラム最後の松平頼暁氏の〈Trio for One Player〉タイトルは、歌手+ダンサー+ギタリストのための作品を一人のパフォーマーのために書いた、という風に解釈できた。素数をメインにした数字の羅列発音から始まる作品は湯浅作品とは対照的に決して予断を許さない、というほど人工的に覚醒させられ続け、テンションを掛けられる。あの前後に関連を持たない数字の羅列を暗譜で表現しきった工藤の表現力には驚かされる。そしてギターを演奏しながら全く別の表現をパラレルに要求する作品であり、さらには時間軸を刻むダンスがある…。
パフォーマー泣かせとも言えるこの難曲は、この日最もパフォーマーを輝かせていた。
(工藤あかね「Secret Room Vol.2−布と箱」11月27日 於トーキョーワンダーサイト本郷)

【工藤あかね Profile】
東京藝術大学声楽科卒業。2011年にはリサイタル「Secret Room」を開催、シュトックハウゼン「ティアクライス」に自身で振付し、同作に踊るソプラノ版という新たな解釈を拓いた。2015年サントリー芸術財団「サマーフェスティバル」出演。近年はピアノの藤田朗子とデュオ「タマユラ」を結成し、これまでにサティ「ソクラテス」、シェーンベルク「架空庭園の書」、ヴィエルヌ「憂鬱と絶望」などを手がけている。

kaorinIcon.jpg by Kaorin


posted by カオリン at 00:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

アンドレ・プレヴィンの亡き元妻へのオマージュ

最近関わった仕事に、出版されていないアンドレ・プレヴィンの作品の採譜、というのがありました。
今回のご依頼はアンドレ・プレヴィンのGoodbyeという作品です。

歌詞も聞き取ったのですが、大変美しいものでした。

Goodbye
Goodbye Goodbye, no time for tears
no time to wonder why
Goodbye reply my younger years
Yet, I can scarcely sigh
Goodbye Goodbye, I’ve no regret
I lost it on the way with all the things
I’ll never get how small they seem today
Goodbye to the book I didn’t write
Goodbye to my silent song
farewell to the fields I didn’t fight
Who’s to say I was wrong.
Goodbye Goodbye to dreams untold
I can’t regret they’re through
Goodbye Goodbye to something old
Hello to something new
Goodbye Goodbye to something old
Hello my love to you.

この作品はアンドレ・プレヴィンが亡きかつての奥様、
ドリー・プレヴィンを偲んで2013年に作ったアルバムでした。
ドリーとアンドレは1959年から1970年まで11年の夫婦生活を送りました。
その後、ドリーはカナダの俳優で画家のジョビー・ベイカーと死去まで28年婚姻生活を送っています。
ドリーが亡くなったのは2012年。
つまり、アンドレ・プレヴィンは30年以上も前に別れている元妻の死に際して1年間で新しいCDリリースを企画し、彼女へのオマージュとして歌手のマイケル・ファインスタインとベーシストのデイヴィッド・フィンクとでこのCD "Change of Heart"を仕上げている事になるのです。

2人の間にどんなドラマがあったかは2人のみが知る事ですが、
離婚後もアンドレが、ドリーを女性という枠を超えた、アーティストとして詩人、シンガーソングライターとして尊敬しているからこそ、この思い出の作品12曲を亡き彼女へ捧げたのは確かです。

その中には映画「チップス先生さようなら」や「哀愁の花びら」で使われた作品、さらに使われなかった作品もラインナップされています。
追憶、感謝、嘆き、哀しみ…そこには2人にしかわからない気持ちの通い合いがあった事でしょう。

12曲はどれもあまりに美しく、アンドレのピアノとマイケル・ファインスタインの甘い声、さらに美しいデイヴィッド・フィンクのベースが切ないほどです。

仕事をしていると、アーティスト同士のちょっと複雑な切ない歴史がみえる時があります。
音楽はそれだけ人の心を如実に映し出してしまうものだとも言えます。

オペラ「欲望という名の電車」の作曲で現在でも現代作曲家として知られていますが、世の中ではジャズやポップスでも王道を歩くアンドレ・プレヴィン。
そんな大御所アンドレ・プレヴィンのプレイベートな横顔をふと見た事で、アンドレ・プレヴィンを身近に感じられました。
音楽の仕事をしている事が貴重に思えるのはこんな時だったりします。

秋の訪れには夜が長くなります。そんな時にはこんなCDはおススメです。


"Change of Heart- The songs of Andre Previn"


posted by カオリン at 21:33| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

「ショパンの音楽記号 -その意味と解釈」 のご紹介

chopin.jpgまたまたご無沙汰してしまいました。
毎日暑くてぐったりですが、もうすぐで夏も終わりそうな朝夕です。

一昨年の話になりますが、友人「和田真司」氏翻訳のセイモア・バーンスタイン著「ショパンの音楽記号 -その意味と解釈」ご紹介しないままでしたので改めてここでご紹介します。

ショパンの楽譜の解釈はたくさんあり、とくにペダリング、そして強弱等、
色々な解釈がなされていますが、音大卒業者にとってはプロになるまでは
はっきり申し上げて自分の師匠からの刷り込みが大きい、とも言えなくはないでしょう。

音楽的に自立してくるとショパンの楽譜というのは様々考えさせられ、又奥が深いです。
ペダリングだけでも一生かかって追求してしまいそうな…そういう楽しさをショパンの楽譜は持っています。

セイモア バーンスタイン氏のこの「ショパンの音楽記号 -その意味と解釈」は
大きく二つの事を解説しています。ペダリングとデュナミークです。

特にデュナミーク(ここではヘアピンと言っています)=クレッシェンド、ディクレッシェンドの扱いについては非常に面白い見解で、また具体的な楽譜からの引用は明解でわかりやすいです。
演奏家の目からみる解釈と、評論家、研究家からみる解釈ではやはり演奏家の目から見る解釈は演奏に直結した解釈になっていますから具体的です。

一読の価値がある本です。
この著書はあくまでもショパンの楽譜の演奏のためのきっかけ、という風に捉えています。
ご興味があったら書店や楽器店で手に取ってみて下さい。


posted by カオリン at 00:00| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

ホールの年齢、楽器の年齢

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軽井沢大賀ホールの並びの通りで。紅葉が美しい♪


本日はホールの年齢とピアノの年齢のお話。

先週は軽井沢にある有名なホール、大賀ホールでの演奏会。私はピアノ伴奏だった。大賀ホールはご存じ、ソニーの大賀典雄名誉会長が寄贈したことで有名だがその、美しい個性的なデザインと木材を贅沢に使用したその内装が特徴。私もそのホールでの演奏が楽しみだった。

会場に到着してみるとその五角形のホールの美しさは際だっていて、さらにステージの床、壁、など美しい木目の木材が使用され、歩いていてもとても心地よかったし、木の香りも堪能できた。素晴らしいホール!

リハーサルになってみると…事態は一転!五角形…というこのユニークさゆえか、音が廻る!ソリストは良いとして、私は伴奏者。ソリストの音がコンマ何秒か遅れて耳に帰ってくるその気持ち悪さと、不安さは想像を超える物があった。自分の弾いているテンポ感が信じられなくなる事ほど怖いことはない。リハーサル中、私は何度も会場の係の方々に大声でステージから「歌にピアノがテンポ合ってますか?」と尋ねた。それほど自分のテンポ感に自信が持てないほど、音が遅れて聞こえてきたのである。

お相手は二期会の重鎮、藤井多恵子さん。彼女の伴奏は今年で25年ほどになるキャリア。これが大きな救いになった。合ってるのか合ってないのかわからないけれど、今までのテンポ感、二人で積み上げてきた呼吸の感覚。これを信じて手探りのように、いや耳探りのように注意深くピアノを弾いた。

本番までの間、ソリストとのお稽古合わせが終わった後、大体私は会場のピアノに慣れるだけ慣れる、というのが常に習慣になっているのでギリギリまでピアノを弾かせて戴いた。が、今度はピアノの方に問題が…フルコンのスタインウェイだったけれど、音が非常に締まっていて、伸びやかに音が輝かない…ちょっと力むと猛烈にキツイ音の立ち上がり。そこでハタと気づいた。
「このピアノはまだ弾き慣らされてないのかも…」ピアノが若すぎるから青い音になってしまうし、芯が堅いのでなめらかなスタインウェイ独特のきらめきが時としてヒステリックになりそうになって焦る…

あとで聞いてみたら、ホールはできて4〜5年。ピアノもそれぐらいだそう。予想的中。

ホールというのは出来たてから3年で湿度が抜けたりして建物の建材に空気層ができはじめて、劇的に音が変化する。それからだんだんに練れた音響へと成長を始めるのである。軽井沢は非常に湿気が多い。つまり建物の湿気が抜けるのにも都会よりも時間を要するはず。ピアノもしかり。特に東京の中央にあるサントリーホール、オペラシティホール。東京文化会館などでピアノが弾かれない夜、というのはおそらく数えるほどしかないと思う。ところが地方のどんな立派なホールであろうとも、東京と比べれば圧倒的に公演数が減る。ピアノが使われている頻度も減る。当然ピアノが練れて弾き慣らされるまでの時間は都会のホールのピアノよりも数倍かかるはずである。

予想もしなかった事に一瞬気持がひるんだし、体は硬くなるし…

そんな環境でもプロはやはり言い訳はできないし第一、言い訳をする習慣を持っていない。言い訳など何の価値があろう…?聴衆はステージの2時間でそのアーティストを感じ、判断するだけであり、それ以前の練習量やら準備やら、アクシデントetc...そんなの関係ない、というのが実際の経験で得た知識であり、教訓。だから本番の時間までに最善を尽くして現場の楽器に慣れ、ホールの癖を熟知する。それがピアニストの使命。

結果は非常に安定した演奏だったように感じている。それはお客様の反応から感じたこと。それでも本番になってお客様がかなり入り、音が相当吸われるようになっていても、まだまだ残響が多いな、というのが実感。やはりまだホールが若い。あと5年経ったらまたこのホールにまた訪れてみたいなぁ、弾いてみたいなぁ…と思った。

何しろ美しい芸術的なホールだったから。

2008年11月雑感…
posted by カオリン at 23:14| 東京 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

iPhoneって売れるのだろうか…

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今かかえている大手外資企業から依頼の音楽製作の一部分が終了し、気持ちが落ち着いたこともありで、先週私は外出の仕事のあとにヨドバシアキバに寄った。

だいぶ以前から弊社の法人用携帯が買った後ずっと使用しておらず、そろそろきちんと機能させたい気持ちもあり、さらにiPhoneの発売も相まって興味ありで、ま、覗いてみよう…的な感覚もあったけど……


いやぁ驚いたのなんのって…

ヨドバシアキバの一階がかなり雰囲気が変わっており、人だかりのするところが二カ所。
そう、そこにiPhoneが展示されていた。
看板には「iPhoneはおかげさまで売り切れました。入荷の予定は今のところ未定です」ずっとアップルユーザーできている自分には「またもアップルの出し渋り商戦だなぁ…」と思わずにやりとしながら展示のiPhoneに触ってみる。

なんと美しい液晶。動きもすごく魅惑的。

でもねぇ、これ、チャットもあまりうまく打てなそうだし、メールなんてちょと、厳しいなぁ…で、価格の書いてある契約のためのパンフレットを手に取ってみると…すごい条件があってこれをクリアしないと買えない!のである。

その条件って…ホワイトプラン+パケット定額フルと+メール受信ためのS!ベーシックパック、この三つに同時加入すること。

合計でなんと、7280円!これって通話無しで!の価格。通話を入れたら毎月1万円近く引き落とされていく事になるわけ。しかし、これだけじゃあない。本体価格が割賦でここに乗ってくる!
結局月々の使用料金が1万円を超えるのは必須なわけ!と理解して途端に売り場を離れた。

いくら法人で買うとはいえ、今まで1.000円以下で事足りていたような端末にいきなり1万円以上プラスされるというのは経理上言い訳できない。増してほとんど使わないだろうから。

でも今私が困っていることはかなりあって…
★海外でまずパソコンを持参せずに、それでも必要最小限のデータやメール受信して過ごしたい。
★無線LANが使える場所ならskype電話を使いたい。(通話料が激安=もちろん海外でも)
★ウェブメールを旅行先で見たい。
★MSNメッセンジャーを使える端末が欲しい

というあたり。

で、現在持っているのはSonyのMylo第一世代
mylo

今第二世代が売り出し中。これが欲しいなぁと思っていたのだけれど店内で使用していくと、もったりと動きが重い。第一世代よりも見やすくなった分、動きは重くなった。これは通信機能はないのでWifi環境のみで力を発揮する。電波がなければ本当にアウト。
それと、私はMacのメールアドレスなのだけれどMyloだと何故かMacのウェブメールチェックができない構造になっていた。
そういうのを恐れていたのでヤフオクで新古品をまずは安価にゲットしたからいいのだけど。MyloはLINUXベースのOSで第一世代ではフラッシュにも対応できていない。
ただ、Myloはなんと言ってもSkype電話ができるのが非常にありがたい。ヘッドセットとかいらなくて、ダイレクトにMyloを電話機にできてしまうのがすごい。

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さて、次に考えたのがNOKIAの機種。
X02NK01 X02NK クリックで拡大してみてね。

★ソフトバンクの機種でもちろんグローバル通話対応。中にはOSが入っておりネットのブラウザーはsafariベースと言われているが、オペラのミニ版DL+インストールも可能でオペラだと動きが相当軽くなる。
★word,excelとも読める。
★気に入ったソフトを入れることができるために、私の希望のSkype,MSNチャット、と両方ができる事がわかってきた。しかもすごく快適らしい。
★なんと、携帯電話機なのにWiFi、つまり無線LAN環境で通信料なしで使える!!!
★カメラは500万画素(まぁ今のも同じスペックだけどそれほど期待しないけどね)

色展開は三色、
X02NK02

どんどんNOKIAに惹かれていく自分がいる。

ショップの人はiPhone現象で激混み状態なのに、丁寧に説明下さり早速契約手続きに進んだ。ここからが長い長い…結局1時間半以上かかったのちに、結局買わないで帰ったのである。


皆さん不思議に思うでしょう?

いいえ買うには買うの。来月ね。
法人契約は銀行引き落としの事もありで一般のクレジット決済とは契約の仕方や〆めの期間や期日が変わる。
で、ねぇ、本当に良い店員さんだったのよぉ…今買うと結局2週間以上が以前の契約になるので不利な、意味のないような金額が上に乗ってくるとのこと。で、来月1日まで待ってから買った方がずっと効率がよい、と言うことになったわけ。

それと、例のiPhoneで強制加入の「パケット定額フル」なのだけど、このNOKIAの機種に関しては、旅行などで使う月だけ契約して、会社に眠らせているときはその契約を解除できる!!というのを店員さんがアドバイス下さったのである。
この6000円近いパケット定額代金が毎月使おうが使うまいが引き落とされるのと、ピンポイントで使う月だけ、旅行がある月だけ申請できる、というのは夢のよう。
となると、申請していない月は無料のWiFiだけでウェブメールを見られるし、Skype電話、そしてMSNチャットも機能し続けることが可能。
増してや、SoftbankはBluetooth搭載だから画像もケーブルレスであちこちのMACやPCに送れるのだし…ミニオフィスみたいに活躍してくれそう…
会社で使う、と言う名目にこれほどかなった端末もないかも、と実感。


私はあのヨドバシアキバのSOFTBANKの理知的なお嬢さんに拍手したくなっちゃった!ショッピングアドバイザーの鏡!!!である。

で、心おきなく説明を聞き、満足し、他の機種に浮気心が起こることも全くなくなり、今や来月の再契約を心待ちにしている…という次第。

しかし、これだけの知識を得るのにかけた時間は…週末で実際に二日間行ったり来たりしたので5時間以上だったように思う。

でもやはり新しいマシンというか機材というか、そういうのは納得して買わないとねぇ…気が済まない性分だから。大満足はなまる♪

しかし、あのiPhoneってあんなに高額な課金設定していたら一般大衆には売れないだろうなぁ…やはりマニアがここぞ、と買うのだろうけど、それにしては価格が中途半場なのでビジネスとしてはおいしくない気がする。それと内部の方から聞いたけど、iPhoneの修理や保証についてはなんだかうやむやなんだって…怖いなぁ… 結局Softbankがメインには出られないので保証も通常の保証が受けられないシステムになっているらしい。こんな事を書いてる私はやはりMacユーザ失格かも…もっと熱く、Macに信仰のような気持ちを持たないといけないのだろうなぁ…あはは。

さてさてっと、気持ちを切り替えて本日も自宅スタジオにて打ち込み録音の日々が続く♪
ラベル:iPhone mylo nokia x02nk
posted by カオリン at 18:35| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月18日

一枚の写真=父親像について。

granpa 大正15年の祖父家族記念撮影

以前、コラムにも書いたけれど私は父方母方双方の祖父にとても憧れていて何かにつけて影響を受けて、今日まで来ている。小さい頃から子供は親を超えるもの、越えねば、という強いプレッシャーを一身に受けて育った私にはその両親を超えてさらに華やかな双方の祖父を超えたい…と思ったりもしているのかもしれない。

画像は父方の祖父。本物のセピアの写真。裏を見ると大正15年7月、とある。もちろん中央が祖父、この時33歳。左が祖母。膝にいるのは父の姉、私の叔母であるが、この時満3歳。右側はばあやのキクさん。祖母が嫁ぐ時に一緒に祖父の家に入ったばあやさんかどうかは確かめていない。この写真の中で健在なのは父の姉の叔母だけである。この翌年に父が生まれることになる。

小学校から大学卒業まで、とにかく父の事を友人がみな「すてきね、」「ダンディね」と言ってくれたが、父方は男性がみな華やかな容姿の家系。祖父は父どころではなく容姿以上に性格的にも華やかな存在だった。ま、いわゆる目立ちたがり屋だったのだと思うけど。祖父も父も大学はロシア語専攻。つまり語学で食べてきたわけ。ね。父の書斎にはツルゲーネフだのトルストイだのってたくさん本が並んでたけれど、祖父から譲り受けたものもたくさんあった。父がいないと私はよくこっそりと父の書斎に入ってはその茶色く朽ちた背表紙の本を取り出しては眺めたりしたものだ。そこには父の祖父への畏敬と憧れがあったような気がした。

そして最近になって、父がなんでも祖父のしたことを踏襲してきている事に気づいた。祖父の転勤で神戸に住んでいた父は県立尼崎高校から関西学院大学に進んだのだけれど、一年生在籍中に祖父の横浜への帰宅が決まると、男の子なのに大学を中退して横浜に一緒に戻り、そして東京外国語大学に入学する。それも祖父と同じロシア語科に在籍した。祖父が良く読んでいた岩波書店の『世界』というのがあったけれど、気づくと父もそれを毎月だったか、取り寄せていた。祖父は歌舞伎が大好きで、歌舞伎の雑誌は祖父の家の堀炬燵の脇にいつもあったのだけれど、わが父はなんと、猿之助を応援する「おもだか会」の会員になっているんだなぁ、これが。

いまだに父の口から「横浜のとうさんはね、必ず…しなさい、と言ったもんだったよ…」などとひょいっと出たりする。それも嬉しそうに思い出している。祖父が亡くなったのはもう、30年以上も前なのに…自分が反抗期だった頃は、この父の祖父へのべったり加減が鼻について、「なんですぐに横浜の、横浜のって出すのよぉ(怒)」などと思ったものだが、最近はこういう状況が嫌ではなくなっている。

男の子の中に作られる父親像。それはとても大切なのだと思うから。
自分の親はすごく素敵なんだ!って胸を張って言える事。それはそれでいいことなんじゃないかな。あるいは自分の父親はこんなだったから、自分は絶対ああはならないんだ!でもいいと思う。要は父親像があって、自分の行動を見つめる事ができること、なのだと思う。

最近、親子間の殺人が多すぎて、いつのニュースのどれだったかがわからないほどに日常化しているように感じる。それはそういう父親像、母親像を持てないまま成長してしまっている人たちの間に起こっている事に思えてならない。

50歳まであと何年、という私がこんなに語学にやっきになっているのもやはり祖父→父→と継承してきた血なり、キャラクターなりを自分の中に発見して踏襲したいからなのかもしれない。その場合は男の子の中の父親像ではなくて女の子の中の父親像…となるけど。さらに、子供のいない私にはそれを継承する相手がいないのだけれど。ね。
posted by カオリン at 15:43| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする